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ピピの日記

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涼やかな風が 肌に感じられる この季節 ♪
多くの皆様に支えられ 社員一同 力を合わせて精進し
日々 「おもてなしの心」 をモットーに努力しています
悲しみに寄り添う中で 小さな喜びをも分かち合える
そんな会社でありたいと考えています
自然の移り変わりにも 幸せを感じ感謝が出来る心を持つ
季節は秋 コスモスも秋風に揺れています ♪
皆さんが いつも幸せでありますように ♡

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さて  
今月の研修会の日程を お知らせいたします
司会研修会  10月19日 13:30~
(他の日程は相談に応じます)

気功教室   10月30日 午前9:00~
※すべての教室は予約制となっております

家族葬・自由葬・無宗教葬・音楽葬・社葬・ホテル葬・お別れの会・偲ぶ会の葬儀司会とアシスタント派遣、ご葬儀の事前相談 プランニングマスターpipi(ピピ)の代表が毎日更新する日記(ブログ)

ピピの日記

「心のおもてなし」を目指していつも全力疾走。
そんな“ひよこ”のほっと一息ブレークタイム♪


今日は長崎に原爆が投下された日 広島と同様に
多くの方が犠牲となられました
戦後77年が経った今でも 悲しみは癒えることなく
忘れてはならない日でもあります
今から丁度 17年前(もうそんなに経つのですね?)
戦後60年の節目に 戦艦大和と追随した12艦隊の
慰霊祭の航海の司会を依頼され 1週間の日程で
それぞれの艦隊が沈没した場所 そしてその時間に
慰霊を行い 航空自衛隊や海上自衛隊の方々も
旋回してしてくださり 本当に有り難い体験を
させていただきました
この時 当時 遺族の方も高齢になられ恐らく
最後の慰霊祭になるだろうと 仰っていましたが
そこには 自然界の不思議な現象も起こり 
遺族の方や船員さんを始め スタッフも初めての
経験をいたしました
その後 知覧にも参りましたが 知覧を訪れたのは
この時が初めてでした  特攻隊員の皆さんの
涙に濡れた手紙(遺書)や 刀剣など様々なものが
展示をされ 心を打たれたことを思い出します
あれから何度か知覧へ参りましたが 何度行っても
悲しみで胸が締め付けられるようでした
そんな 特攻隊員の「岡村 清三」さんの遺書を
見つけましたので 掲載いたします
日本の今の平和は この方たちの犠牲の上にあると
いうことを考え 戦争のない世界を築くのも
私達が 後世に残さなければならない大事なことだ
ということを 改めて考えさせされました

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お母さん

私は 後 3時間で祖国のために散っていきます
胸は日本晴れ 本当ですよお母さん少しも怖くない
しかしね
時間があったので考えてみましたら
少し寂しくなってきました
それは 今日 私が戦死した通知が届く
お父さんは
男だから わかっていただけると思いますが
お母さん
お母さんは 女だから
優しいから 涙が出るのでありませんか
弟や妹たちも
兄ちゃんが死んだといって 寂しく思うでしょうね

お母さん
こんなことを考えてみましたら
私も人の子 やはり寂しい
しかしお母さん
考えて見てください
今日 私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか
戦争は この日本本土まで迫って
この世の中で 一番好きだった母さんが
死なれるから 私が行くのですよ

母さん
今日 私が特攻隊で行かなければ
年をとられたお父さんまで 銃をとるようになりますよ
だからね 
お母さん
今日 私が戦死したからといって
どうか 涙だけは耐えてくださいね
でも やっぱりだめだろうな
お母さんは 優しい人だったから

お母さん
私は どんな敵だって怖くはありません
私が一番怖いのは 母さんの涙です


新型コロナウィルスの感染拡大で ご葬儀の在り方も 
随分と変化を遂げて 本当に少人数のご家族だけで 
という形も増えている中 会葬の方を拒絶されたり
ご焼香だけで 参列は控えるようにご案内されたり
式場へ入られる際には 必ず検温やアルコール消毒
マスクの着用 そして寒さが厳しくても換気の為に
窓や扉を開けられることも多くなりました
それでも 感染の拡大は止まることなく 
新型ウィルスが 次々に発生して ・・・

大切な方を 送らなければならない悲しみの時間に
遠方にお住いの方は 帰省することもご遠慮されたり
最期のお別れも出来ないという事態も ・・・
そうした中で せめてお花だけでも華やかに!と
ご希望されたご家族が ピンク色や色とりどりの
美しい色の花で ご祭壇を飾られ送られました
目にも優しく 鮮やかな花々に囲まれたお写真を見て
「綺麗に飾って貰って良かったね!写真を撮って
 来れなかった皆に送ってあげよう!」 そんな
ご家族の姿を拝見していると 花は心慰め悲しみを
和らげてくれるものなのだと思いました
悲しみの景色の中に 優しさを感じた時間でした


今日は「原爆の日」 10万人を超す人が亡くなった
午前 8時15分 心静かに黙祷を捧げる
世界で初めて核兵器 「リトルボーイ」を
実戦使用し 人類史上初の都市に対する核攻撃であり
多くの命が奪われた日となりました 
二度と戦争が起こらないよう 今日は平和を願う日
今の平和に感謝しながら この平和の為に多くの
命の犠牲があったことも 忘れてはなりません


もう15年も前になりますが 戦艦大和と追随する
12艦隊の慰霊祭に携わり その後 知覧へ参りました
その時の 衝撃は今も脳裏に焼き付いています
若い(今だとまだ子供たち)の 絶筆の遺書など
それは心を揺さぶられるような 壮絶なものでした
先日 ある記事を読んでいましたら 
まさに 若き特攻隊の絶筆の遺書の記事でした

長文になりますので 時間のある時に読んでください


「教え子から遺書を送られた先生」

徳永先生は 熊本県の歴史始まって以来
30代の若さで 小学校の校長になられたほど
優秀でしたが 
「教員の仕事は 教壇に立って教えることだ」 と
5年で校長を降り 自ら志願して一教員に戻った人でした
だから どの学校に行っても校長に嫌われるんですね
自分より 実力が上なものだから
それで 2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で 教師たちが一番敬遠している難しいクラスを
受け持って みんなを勉強好きに変えてしまうんです

徳永先生は 昼飯を食べない人でした
なぜ食べないかというと 終戦直後
昼の時間になると 弁当を持ってこられない子供たちが
さーっと 教室からいなくなる
それで ひょっと校庭を見たら
その子たちが 遊んでいたんです
その時から 自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました
以来 昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ
晩年になっても

これは戦前の話ですが
「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」
と言って 児童たちを帰したら 次の日の朝
「先生 昨日買ったばかりのナイフが無くなりました」
という子が 現れました

先生は どの子が盗ったか分かるんですね
この生徒は 兄さんがすばらしく頭がよく
いつも家で比較されて 偏愛の中で冷たく
育っておりました  学用品を買うのにも
「馬鹿タレ 勉強もできんものが 何を金が必要か」
と叱られるのです

「あの子ではなかろうか」と
暗然とした徳永先生は考えて 一つの方法をとりました
昼休みの時間 中には運動場に出ない生徒もいますが
この日は 全員を運動場に出して遊ばせました
それで 全員外に出して遊ばせているうちに
盗ったと思われる 子供の机を見たら
やっぱり 持ち主の名前を削り取って
布に包んで入っていました

先生は すぐに学校の裏の文房具屋に走って
同じナイフを買い 盗られた子の机の中に
入れておきました 子供たちが教室に帰ってきた時
「おい もう一度ナイフをよく探してごらん」
と言うと
「先生 ありました」 と
そして
「むやみに 人を疑うものじゃないぞ」
と言うんです
その子は教室の一隅から うるんだ眼で先生を見た
といいます  

それから時代が流れ 戦時中です
特攻隊が出陣する時 皆 お父さん お母さんに書くのに
たった一通 徳永先生への遺書があったのです
それは あの日 ナイフを盗った子からのものでした

「先生 ありがとうございました
 あのナイフ事件以来 徳永先生のような人生を
 送りたいと 思うようになりました
 明日は ポーランジャの空で僕は見事に
 戦死できると思います
 その前にたった一言 先生にお礼を申し上げたい
 あの時に 先生は何にも言わないで僕を許して
 くださいました 死の寸前になってそのことを思い出し
 『先生ありがとうございました』とお礼を申し上げます
 どうぞ先生 体を元気にして
 僕のような子どもをよろしくお願いします」

というのが絶筆でした

彼は 昭和 19年5月12日
ニューギニアの ポーランジャの空中戦で戦死しました
若冠 十九歳でした

教え子から 遺書を残された徳永先生
愛しい教え子を死地に送り出さねばならなかったこの時代
徳永先生は 深い悲しみに沈みこみました
徳永先生は あの時 自分が彼と同じ境遇におかれたら
これ以上の荒れ方をするだろうと考えたそうです
「どうしてあの子を怒ることができただろうか・・・」 と

今 その教え子の墓前には
先生が植えた 八重クチナシが大きく育っています


今日も我が家の庭に咲く 紫陽花を ♪


午後から雨模様の一日 今日は深い御縁のある方のお母様の
お見送りに参ります 2日前にご連絡いただき驚きましたが
どうしても 自宅から送り出してやりたいと仰って ・・・
師と仰ぐ久世先生が 「家族と呼ばれていた方が ある日
突然 遺族と呼ばれる悲しみは 計り知れないものがある」
と仰いましたが そんな衝撃的なお別れに驚かれに戸惑われ
深い悲しみの中にいらっしゃることと思います


お家の周りは 山々に囲まれた田園風景の広がる場所
生涯の大半を 穏やかな景色に囲まれて過ごされた場所で
最後のお見送りをされる ご家族の方々もお母様との思い出と
一緒に優しい時間が過ごせますように ・・・
心から手を合わせます

皆様にとっても 穏やかな一日になりますように


最近 若い方の担当が多く 30代~50代の方ばかり ・・・
小さなお子様のいるお母さんだったり まだまだこれから
そんな方ばかりをお送りしていると 辛さと悲しみが伝染し
気持ちも沈みがちになりますが 出来る限りのお手伝いを
そんな思いで 過ごさせていただいています
ある式場の片隅に ひっそりと咲いていた名前も知らない
真っ白な花 こんな花にさえ悲しみを覚えます ・・・

世の中は ゴールデンウィーク 真っ只中ですが
今年は 新型コロナウィルスの影響か 高速道路も空いて
スムーズに移動が出来ます 風が爽やかで日差しも穏やかな
素晴らしい季節に 自粛をしなければならず 感染拡大が 
一日も早い 終息を迎えることを願うばかりです
新型コロナウィルスと 闘う方々にお見舞いを申し上げ
治療に当たられている医療従事者の皆さんに感謝をしながら
皆の力を合わせて この困難を乗り越えましょう!

手洗いもしっかりと! 今日も健やかにお過ごしくださいね ♪


先日 赴いた寺葬では 前日からの雨で心配をして
おりましたが 当日には雨も上がり穏やかな
お見送りとなりました


小高い山の中腹に位置する 古刹では境内近くの
坂道には サツキの花が咲いていましたが
雨に濡れて 寂しそうに見えた夕暮れ ・・・
下の駐車場に車を置いて 坂道を上ること 
200~300m 境内への登り道では 息が切れるほどの
急勾配を歩きました 翌日の朝 お天気も徐々に回復し
本堂の大屋根の上には 青空が広がりました


きっと送られる住職様が お越しになる皆さんの為に
雨を上がらせてくださったのでしょう ・・・
いつも温厚でにこやか 物静かで穏やかにお話を下さった
お姿しか思い浮かびません 合わせた手に感謝の気持ちを
託しながら 懸命にお手伝いをさせていただきました


境内から見下ろす眼下には 長い間 過ごされた街並みが
どこか もの悲しく感じられ感じられたのは何故でしょう
長きに亘り 本当に ありがとうございました

心から ご冥福を お祈り申し上げます
                        合掌 


青い空に一筋の白い雲 美しい飛行機雲を発見 ♪
夏の空に 真っ直ぐに伸びた飛行機雲が清々しい ♡
まだまだ 飛んでる後から伸び続ける一本の線
空を見上げて 気持ち良かった時間でした ♪ (^^)

*:・。,☆。・:*:・゚'☆,。・:*: ゚・*:.。. .。.:**:・。,☆。・:*:・゚

『むずかしいから面白い』    = 松下 幸之助 =

難なく解けるクイズはつまらない
ちょっとや そっと考えただけでは解けない
クイズであればこそ面白く しかも解いたときの喜びは
大きいのである 仕事でも同じこと
難なくこなせる仕事よりも いろいろ困難があり
むずかしい仕事である方が面白く
なしとげたときの喜びも また大きい

昨夜ご縁のある古刹の
御住職のお通夜に参りました
ご入院されているとは
聞き及んでおりましたが
予定を空けておいて欲しいと
一週間前に ご連絡を頂き
驚きに耐えませんでした

ご縁の深い皆様方にとられては 本当に辛いお別れかと思います
いつもお元気にシャキッとされているお姿しか思い浮かびません

青い空に浮かび 流れゆく白い雲のように 皆様の心の中の
悲しみの時も過ぎ去り いつか思い出となり 穏やかな日差しに
包まれる日が参りますことを 心から願いながら ・・・


山の木立の隙間に 雲の間から零れる太陽の光が幻想的
そんな夕暮れを迎えた日 毎日が怒涛の如く流れて行き
ちょっと ひと休みをしたいと思う今日この頃 ♪

先日 昭和の初期に生まれられた方のお話を伺いました
中学校を出て直ぐに 海軍兵学校へ志願 そして出兵
大変な時代を生きて来られた方 お話を伺っていると
その時代の ご苦労や多くの方を送られたという寂しさ
辛さなど 私たちには計り知れない現実が
そこにあったのだと 感じずにはいられませんでした
それと同時に 戦艦大和と 追随した 12艦隊の
沈没したその場所 その時刻に東シナ海での慰霊祭
荘厳で何とも言えない体感をさせて頂いたときのことを
思い出しました あんな体験は二度と出来ないこと
有り難いご縁で ご一緒させて頂き 1週間ほどの船旅
その中で 私の考え方なども変化をしたように思います

生きたくても 生きることが簡単ではなかった戦時中
若い命が儚く消えて逝った瞬間 その時どんな想いで
最期の時を 迎えられたのでしょう ・・・
平和な時代を生きている私達には 想像も出来ないほどの
ものだったに違いありません その慰霊祭の終わりには
知覧にも参りましたが そこでも美しい文字で綴られた
若き青年の直向きな想いや 壮絶な死を遂げることに
恐れを感ずることなく 遺された家族への気遣いが溢れ
涙が止まらなかったことを思い出しました

この幸せな時代を生きている私達が 忘れてはならない
平和への願いや そうした多くの犠牲があったこと
そして今を もっと大切に生きなければならないことを
改めて 感じた時間でもありました

今日も この時 この一日を大事に過ごしましょう!


関東では梅雨も明けたようですが 蒸し暑い毎日に
体も ついて行くのがやっと ・・・ (^^;)
水分もしっかり補給しないと 熱中症になりそうです
この季節は体調管理にも 気を遣わなければなりません

今日も 充実した一日をお過ごしくださいね! (^^)/


『四文字』         = 坂村 真民 =

朝鍛   夕練
何という いい言葉であろう
華厳の行者になるには この四文字をいつも丹田に置き
刻苦精進しなければならぬ みめいこんとんの刻に起き
己を磨かねばならぬ

2010年1月までの日記はこちら↓からご覧ください。
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